2021-03-22 第204回国会 参議院 国土交通委員会 第3号
また、同じ災害だったと思いますが、関西国際空港への連絡橋が途絶したときも、あれは私、直接ジャンボフェリーにお願いをして、関空から急遽フル装備で神戸空港に滞留されていた方たちの避難を促していただいたり、二十六年前の阪神・淡路大震災のときも、陸路はもうほとんど途絶していましたので、全て関西国際空港から神戸空港に対するフェリーを使って救援物資も人も来たところでございます。
また、同じ災害だったと思いますが、関西国際空港への連絡橋が途絶したときも、あれは私、直接ジャンボフェリーにお願いをして、関空から急遽フル装備で神戸空港に滞留されていた方たちの避難を促していただいたり、二十六年前の阪神・淡路大震災のときも、陸路はもうほとんど途絶していましたので、全て関西国際空港から神戸空港に対するフェリーを使って救援物資も人も来たところでございます。
昨年の関西空港の連絡橋が潰れたときに、実は、それを脱出させるために、陸だけでは厳しいと思って、さまざま私もちょっと働きかけて、あそこの関西国際空港から神戸空港に来る船を、ジャンボフェリーという会社にお願いして、フル回転してまあ救出はできたんですが、私も、言った手前、次の日の朝から神戸空港の方の岸壁のところでお客さんを受け入れたんですけれども、外国人が大半で、中国の方が多くて、ここに来てありがたいんだけれども
もう一隻付近におりましたジャンボフェリー「りつりん」が現場に接近いたしましたが、これは、全員が「六甲丸」に救助されたから救助の必要はないということから、予定港に向かうように指示いたしました。その後二十四時四十分ごろ船首部が大爆発して、二十五時五十二分ごろ船体が沈没した、こういうことでございます。火災並びに救助の模様は以上のとおりでございます。